息をするように本を読む

文字でしか伝わらないものがあるし文字だけじゃ伝わらないものもあるけど私はとにかく読みたいの

探偵の憂鬱タイム

PTAあるある、はっきりしない拘束時間。開始時間と聞いたオンタイムに次年度への引継ぎ要員として集合したものの、ここで新委員への全体説明が始まって、それが終わってから引継ぎという流れ、つまりどうやら任務開始まで45分ぐらいある気配。

とはいえ自分だけ脱走して説明が終わったら呼んでくれというわけにもいかず、その場にはいないといけないので一番後ろに座って待機。他の旧委員さんたちもなんとなく話を聞きつつ、委員のグループラインを見返しながら引継ぎ資料の確認などをしている。

いい時代ですよね。まさかここで堂々と本を開くわけにはいかないが、あらゆる資料や連絡がスマホに収納されている昨今、PTA説明会中にスマホを見ているのは実に自然であり、kindleが真価を発揮するのはまさにこういう時である(違うでしょうね)

ざっとライブラリを見たところ、アンペリーのミステリの解決篇をとってあった。その前まで憂鬱ゾーンを細切れに読み過ぎてて、この解決篇は落ち着いてまとめて読みたい、と止めてあったんだった。

それにしても中学生で初めてエラリークイーンを読んでからずっと思ってたんだけど、なぜ英語圏本格ミステリには、探偵役の懊悩や絶望にやたらとページを割く、憂鬱タイムが長いものがあるのか。

犯人とか被害者とか関係者とかの事情や苦悩は事件に関わるならちゃんと聞いておきたいけど、探偵側さぁ、そんなに何ページもぐるぐるネガティブいる?もしかしたら映画だったら俳優がうじうじ苦悩してほぼ静止画でも絵になっていいかもしれないけど(ただしイケメンに限る)、クイーンさんとこなんて親子でずっとしけた顔して(見てないが)2~3ぺージ動けないでいるうちに次が殺されたりしてまたへこんで5~6ページうじうじ憂鬱になってるじゃん?シュッと行って解決できたっしょ!て思うよね。

その点、ホームズやクリスティは探偵側の憂鬱ゾーンが少ない。事件おきた!シュッと登場!ポポポポーンと推理!敵もなかなかのトリック!だけど最後にはわかっちゃうよ!はい解決!いえーい!ってね。

いや悩むのはいいのよ、悩んで考えてじわじわと核心に近づくとかならいいんだけど、たいてい事件そのものの解決につながるようなやつじゃなくて、自分自身の来し方行く末みたいなやつで絶対結論でないやつじゃん。あってもいいけどもうちょっと短めでもよくない?そう思いながらもそこに文字がある限り読んでしまうわけだが、一気読みじゃなく細切れ読みだと特に、話の流れというか勢いがそがれる感じでまたかーってなっちゃうんですよね。全体の積み上げみたいのが途切れてるからかな。って、自分の都合で細切れに読んで途切れさせてるくせに勢いがそがれるとか勝手な話ではありますが。

とはいえ、このアンペリーさんのシリーズは、どっぷり大好きなヴィクトリア朝の英国なので、多少の憂鬱タイムもしのぎやすく、解決篇はしっかりと畳み掛ける解決で読み甲斐があって、よかったよかった。